松富かおり 公式ブログ

Kaori Matsutomi Official Blog

世界の今と日本

【 「浮世絵」と「美しい日本の私」、そして、日本を取り巻く今の世界 】

「浮世絵は260年の平和な江戸時代が生んだ庶民の芸術」
この言葉は、私にいろいろなことを考えさせました。

 

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中東、(トルコ、イスラエル)、ヨーロッパ(フランス、ポーランド)などで、実際に住んで来た私。

その国の歴史を学べば、学ぶほど、日本がどれだけ特殊な文化を持っているか、特殊な、多分、多くの意味で幸運な歴史を歩んで来たか、に思い至ります。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった一神教が生まれた中東の地では、古代から中世まで、敵と戦い、勝てば、相手は女性や子供もふくめて「皆殺し」が当たり前でした。

 

عائلة بدو فلسطينية أثناء حضور فرح By Oldpalestine (http://oldpalestine.tumblr.com/) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

 

なぜなら、厳しい風土で、湧き出る水が限られていれば、その土地に住める人の人数は限られて来ます。
だから、敵は殺すか、奴隷として売るか、奴隷として使うかしかない。
そこに、善悪の感情の入り込む余地はなかったのです。

 

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By Wilson44691 at English Wikipedia [Public domain], via Wikimedia Commons

 

そして、近代の扉を開き、今や私たちが、「人権」「民主主義」の先駆者として見ているヨーロッパも、中世までは、「暗黒の時代」でした。

民族が移動するたびに殺し合い、同じキリスト教徒ですら、わずかな信仰の違いを巡って、他人を異端尋問にかけて拷問し、互いに殺し合って来たのです。
カトリックとプロテスタントが互いに殺しあう不毛に気づいたのは30年戦争を戦って疲弊した1648年のことでした。

 

この時、日本にはすでに平和な「江戸時代」が訪れています。

というより、日本では、数回の変革期の戦乱を除いては、「平和な時代」の方が普通だったのです。

この浮世絵は、江戸時代、女性が旅をするのが当たり前だった様子を写しています。

例えば、江戸からお伊勢さん参りを女性がするのが、ほぼ、安全だと思われていたのだとしたら・・。その時代、ヨーロッパや中東ではありえないことでした。

 

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ヨーロッパの歴史は戦争の歴史です。フランスとイギリスは、300年に及ぶ領地をめぐる抗争を続けています。

17世紀の哲学者ホッブズは、「人間は人間に対して狼である。故に万人の万人に対する闘争が自然状態である」と述べています。

 

日本では、そんな「哲学」は生れようもありませんでした。「人は争いあうのが当たり前」そんな思想が生まれる土壌はありませんでした。

 

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11世紀から始まった、今も美しい言葉のように響く「十字軍」の実態は、信じがたいほどに残酷なものです。領主たちは、憧れの地エルサレムとその周辺の領土を奪うために、軍隊を出します。その軍隊は、食料もお金も持っていません。どうやって何ヶ月も、あるいは年を超えてさえ戦う遠征を乗り切るつもりだったのでしょう?

彼らは、途中の町で、食料を奪い、金銀を奪い、女性の強姦までして道を進みました。運悪く行き当たったユダヤ人も、異教徒として、ほぼ皆殺しです。

目的は、当時のローマ教皇が呼びかけた「聖地エルサレムをイスラム教徒から奪い返す」ことだけではなく、周囲の村からめぼしいものは強奪し、異教徒は殺し、あわよくば領土を増やすことだったのです。

実際に第1回の十字軍は、ある程度の成功を収め、シリアからパレスチナ地域にいくつかの十字軍国家がつくられました。エルサレム王国、エデッサ伯国、トリポリ伯国、アンティオキア公国など。
しかし、最初は、不意をつかれたイスラム側もその後は自衛することを学び、特に英雄サラディーンの登場などにより、その後の十字軍遠征は、ほとんど成果のないままに終わります。
彼らが行ったのは、「聖地奪回」という美名のもとの強奪、虐殺、強姦です。
中でも、1321年の「羊飼い十字軍」と呼ばれるものでは、3万人のクリスチャンが、スペインのトゥデラという街を襲い、現地のユダヤ人を殺戮しました。その行為のどこが「十字軍」の名に値するのでしょう?

 

後期には、同じキリスト教の東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリス(現在イスタンブール)を攻め落とし、ラテン帝国を築いたり、同じカトリックのハンガリーをも攻撃するなど、動機が不純であることは明らかでした。

 

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Eugène Delacroix [Public domain or Public domain], via Wikimedia Commons

 

しかも、「十字軍」は、中東地域だけを目指したものではありません。

12世紀までは、エストニアやリトアニアには非キリスト教徒が住んでいましたが、北ドイツ諸侯は、これらの地域に出陣し各地で殺戮を行ったのです。もちろん、そうして自国の影響力を強めていきました。
そういう時代、見せしめのために生きたまま人間の肌を剥いだり、串刺しにした敵兵の死体を何十体も城壁の周りに並べて晒し、敵を威嚇することは日常茶飯事として行われていました。
最初は、テレビや映画の誇大表現だろうと思っていましたが、文献を読むとそういう例がいくつも出てくるのです。それは、歴史的事実だったのです。それに気づいたとき、私は大きな衝撃を受けました。

これは、通常の日本人の感覚では、理解できません。

 

日本の「戦国時代」、諸侯は天下取りを目指して、戦いますが、初期には、多くの兵が農民兵で、農繁期になると互いに戦うことをやめ、自然に停戦が成り立ちました。

 

The Famous Scenes of the Sixty States 41 Hoki歌川広重 [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で

 

その慣例を破ったのが織田信長です。
彼は、軍務につく専門の兵士を抱え、一年中兵を動かせる、という利点を武器に、多くの諸侯の先端に立ったのです。

それでも、日本では、負けた軍の下級兵士を皆殺しにしたり、ましてや、領民である農民、女性、子供を皆殺しにすることはありませんでした。
日本の武将は、そんなことをすれば、配下の将兵の心も人民の心も離れていくことを知っていたらからです。

たまに宗教弾圧と誤解される、信長による比叡山延暦寺の焼き討ちも、宗教を弾圧したのではなく、「僧兵」として、武力と利権を持っていた「中世的な特権を持った寺社」を解体し、彼の政策である「楽市楽座」を達成するためのものでした。本願寺に関しても、「武器を捨てるなら、信仰は許す」という「赦免」を与えています。

 

さらに時代が下って安定の世になると、評価が別れる五代将軍綱吉による「生類憐れみの令」などにより、侍も庶民も血を流すことを「悪」と感じるようになります。犬を殺してもいけないのですから、人間の命を奪うなど言語道断、という「日本の常識」が作られていくのです。

 

TsunyaoshiBy 日本語: 土佐光起English: Tosa Mitsuoki ("歴代徳川将軍の肖像") [Public domain or Public domain], via Wikimedia Commons

徳川綱吉

 

「人様に迷惑をかけてはいけない」「お天道様に顔向けできない」−—−これは、私たち日本人にとってはごく当たり前の感情ですが、ほとんどの国では当たり前ではありません。

特に一神教の文化において、「人を殺さない」「悪いことをしない」のは、神の教えに従って、自分が、メシアによって救われるためです。将来、メシアが地上に降りてきたときに、「永遠の命」を授けられないことに対する恐怖から来ている「行動規範」です。「罰されない為の行動規範」なのです。

 

Last Judgement (Michelangelo)Michelangelo [Public domain], via Wikimedia Commons

 

でも、日本人にとっては、それは、単純に「道徳」なのです。「当たり前の倫理」なのです。  もちろん仏教などで、「極楽に行くため」に精進することはありますけれど、そこまで突き詰めなくとも、「人様に迷惑をかけない」という道徳規範は、日本社会で普通に生活していれば、自然に心の中に植え付けられます。「罰を受けるのがいやだから、人に迷惑をかけない」よう努めるわけではないのです。

 

そういう社会がどれほど、特殊で、素晴らしいものであるか、この20年間、あらゆる国々の方達と触れ合う中で、私は実感して来ました。

 

一神教の信者は「創造主である神を信じないとしたら、どうやって自分の行動の規範が守られるのか?」と質問して来ます。
私は、「それが悪いことであるか、良いことであるかの基準は、私の身のうちにある。将来、神に罰せられるから、人を殺さない、あるいは人に親切にしないのではなく、自分の中にある『良心』に従えば、自ずと自分の行動規範はできてくるのだ。」と説明するのですが、これは、なかなか、理解してもらえません。

 

私は、この「貴重な日本人の感覚、道徳観、倫理観」、というものを大切にしたいと考えています。
これほど美しいものは、世界のどこにでも転がっているものではないからです。「罰する神」の存在がなくとも、日本人は自分の倫理観を維持して来たし、これからも多分失わない。

 

しかし、今、世界は、かなり悲観的な方向に向かっていると、私は思います。

「人権」「民主主義」「法の下の平等」「思想の自由」という近代的な価値を声高にアピールしてくれるリーダーたちは確実に減っていくでしょう。
多少の揺り戻しはあっても、もはや国内の世論を押さえ込んでまで、そういう理想主義や理念を前面に押し出していくことは、どんどん難しくなるでしょう。

その一方で、武器の性能の進歩には凄まじいものがあります。
かつて、江戸時代まで、日本を外からの攻撃から守ってくれた「海」は、すでに、「防壁」として機能しなくなっています。
核弾頭を積んだ大陸弾道弾ミサイルも、潜水艦から発射されるミサイルも、ドローンによる攻撃も、すでに現実のものとなっているのです。

 

Peacekeeper-missile-testingBy David James Paquin (attributed) The original uploader was Solipsist at English Wikipedia [Public domain], via Wikimedia Commons

「アメリカの ICBMによる発射実験」クエゼリン環礁にて。MIRVは一つの弾道ミサイルに複数の目標をターゲットにした複数の核弾頭を搭載できるシステム。

 

理想や理念が衰退し、武器の性能が向上し、自国の利益だけをあからさまに追求する国々が増えていく。ーーー そういう、力が支配する「戦国時代」の入り口に私たちは立っているのだと、私は思います。

 

私は、日本人に、これまでの長い歴史の中で育まれて来た、この素晴らしい精神を失って欲しくない。しかし、一方で、弱肉強食の「戦国時代」に突入しようとしている現実世界で、日本は生き残るすべを学ばなければならないとも、思います。

 

どれほどの美徳を持っていても、どれほどの素晴らしい歴史や文化を持っていても、国が滅亡すれば、あるいは、どこかの国の支配下に置かれるようなことになれば、美しい日本の伝統は維持できなくなります。自由は失われます。文化も衰退します。人の心も荒みます。

 

Визит Перри в 1854 годуBy Гейне Вильгельм (https://uk.wikipedia.org/wiki/Файл:Perry_03.jpg) [Public domain], via Wikimedia Commons

 

私たちに、美徳を維持しつつ、「国を守る」、その準備ができているでしょうか?
「戦国時代」はすでに、あらゆる地域で始まっています。
日本人が感じることができるのは、多分、そのほんの一部です。
日本のメディアは、各国が水面下で行なっている酷薄な駆け引きを報じる余裕はありません。日々の小さな問題に追われて。
もしくは、その実態に多くのジャーナリストはまだ、気づいていないのかもしれません。

 

でも、中東に住み、ロシアの脅威を肌身で感じるポーランドに住んでいると、様々な兆候が見えて来ます。それらを繋げていくと、すでに、多くのことが、水面下で進行していることがわかるのです。

離れた国での動乱を誘って、敵対する他の国の力をそごうとする策略。力や経済力によって自国の利益や領土を拡大しようとする国々。人権を無視して、自己の絶対権力を打ち立てようとするリーダーたち・・・。

 

私たちに、あまり時間の余裕が残されていないことに、どうか気づいて欲しいのです。私たちの、「美しい日本」を守るために。
今頃になって、川端康成がノーベル平和賞受賞のスピーチで行なった「美しい日本の中の私」というタイトルに、どれほど深い意味があったのか気付かされ、自分の不勉強を恥じています。

 

sakuhin_3出典:SHUNAN CITY MUSEUM OF ART AND HISTORY

 

どうか多くのの方々が、この文章を読んでくださいますように。
そう願ってやみません。

もし、少しでも共感してくださったら、どうかお友達に伝えてください。シェアして広めてください。
ナショナリズムを高揚させて、人の心を煽るつもりは、毛頭ありません。

でも、私たちは、今、私たちの「美しい日本」を守るために、どうしたら良いか、きちんと、考えなければならない時期に来ているのです。

考えて、どういう結論に達するのか、どういう行動に移すのか、それは読む方々の自由です。
でも、どうか、ほんの少しの時間、こういう世界の状況を考えていただけたら幸いです。

 

心から、祈りを込めて・・・。

 

松富かおり

 

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